大仁田厚
- 提出先:
- 「紙のプロレス」より
プロレスラーの「社会性」をたずねて
ちょっと古い話になるが、アルベールビルオリンピック中にNHKが毎晩やってたハイライト番組のゲストに大仁田が呼ばれていた。
別に私は、田舎の年寄りみたくNHK至上主義なわけじゃないし、亜流中の亜流を自認し標榜していた大仁田(FMWと言い換えてもいい)が今やある意味で最もメジャーなプロレスラー(団体)になっているという現状もふまえてはいるが、しかしやっぱり「NHKと大仁田」という組み合わせには違和感を持った。
猪木が参議院議員に当選し、前田がいろんな文化人と親しく交際してるらしいことを知り、馬場がテレビタレントとして成功し、高名な文化人がプロレス好きだと公言して文化論として語っても、やっぱりプロレスに社会性は育ってきちゃいない。何の釈明もなく一般紙はプロレスを扱わないし、テレビのスポーツニュースに結果速報はない。ここで感じるのは、プロレスとプロレスラーの分離ということである。プロレス自体は依然として非社会的ゾーンにおかれたまま、プロレスラーだけが陽の当たる社会的ゾーンに担ぎ出されて行ってしまう。大仁田を迎えたNHKの局アナが、いかにも台本まる暗記状態で「大仁田さんむずかしいデスマッチで体中傷だらけというのは本当ですか」みたいな質問をしてるのを見ると、なんつうんだろう、いたたまれないような気持ちに襲われる。
古くからのプロレスファンには、「プロレスに市民権を」という思いがあったと聞く。だとすれば、このNHKに招かれた大仁田や、国会議員猪木というのは喜ばしき進歩ということになるのだろう。でもなあ。嫌だよなあ、なんか。かまってくれなくていいよ、とか思ってしまう私はそんなファンがいるからいつまでたってもプロレスがメジャーになれないんだ」ってやつの原因なんだろうか。
でも、嫌なんだよ。プロレスのことなんか頭のスミにもなかったような雑誌が組むプロレス特集とか。GOLDでやってるキックボクシングがちょっと変わったデートコースに選ばれたりとかさ。キックとプロレスは違うんだけどさ。でも嫌じゃん。
あと、プロレス好きを公言する人の中に、「本当に好きなのかよ」と思う人がいるが、あれも嫌だ。ちょっと前に、大仁田を追ったドキュメント番組の中で、あの荻野アンナがやってるラジオ番組に大仁田がゲストで呼ばれたという件があった。荻野は大仁田の大ファンなんだとよ。「今の世の中って、鬱みたいなものが無くなってるでしょ。で、大仁田さんは――」と何とかコメントしてたけど、聞いた瞬間うそだと。ま、いろんなレベルがあるから難しいとこだけどさ。でも、自分のキャラクターを演出するために「プロレスが好き」というのを利用する人は多い。NHKが大仁田を呼んだのも、NHKらしからぬ物分かりの良さをアピールするための手段であろう。
非社会的なものというのは、世の中に少なくなってきていると思う。そんな中で、今、プロレスという領域が「最も扱いやすい非社会的なもの」ではないだろうか。これは喜ばしいことではない。プロレスファンは、プロレスという字を見ただけで喜んでしまいがちだが、どういうつもりで「プロレス」を使っているのかを見極めて、無視したり怒ったりもするべきだ。
(消しゴム版画 文とも)