アブドラ・ザ・ブッチャー(血ィ出そか)
- サイズ:
- 41 × 40 × 11 mm
- 提出先:
- 「紙のプロレス」より
プロレスラーの「生傷」をたずねて
生傷男――ディック・ザ・ブルーザーのニックネームである。プロレスラーにつけられるキャッチフレーズというか、ニックネームは非現実的だ。人間発電所しかり、人間山脈しかり、一体どんな人間であるか。また、インドの狂った人間でテキサスの荒馬、と動物を拝借するパターンもある。これらの非現実性に比べて「生傷男」というニックネームは、人間の形容詞としてきわめてマトモである。「生傷」という言葉は、プロレス特有のものでさえなく、社会生活の中にある現実(日常)のものであるが、いつも生傷が絶えなかったもんですよという日常における「生傷」と、ディック・ザ・ブルーザーの標榜するプロ的「生傷」の違いは何だろうか。
この2つの「生傷」は、別モノといっていいほど決定的に違うのである。まず日常の生傷。ここで言う「生傷が絶えない」は、「傷が治ったかと思えば左ヒザ、右ヒザが治ったかと思えば右ヒジというふうに、右ヒジと次々と新規の外傷を負うことである。
しかしプロレスにおける「生傷が絶えない」は、ある決まった箇所がずっと生傷でありつづけているということである。傷を「生」の状態に保ち続けるというのは、やはり常人の想像を超えるワザだ。額の「生」傷を、ヘッドバットの2、3発で新鮮な血がふき出すようなレア状態に、もう何十年も保ちつづけているのがアブドーラ・ザ・ブッチャーである。ブッチャーの額の傷は、どうなっているのだろう。ブッチャー以外にも額に生傷を保っているレスラーは多い。故ブロディ、ラッシャー木村、ターザン後藤、ダイナマイト・キッド――etc. このレスラーたちは額を「割れっぱなし」にしているということだ。大仁田などは、体中を何百針も縫っていて、また、次々とそれを増やしている。これは程度が全然違うが「うちの子はワンパクで生傷が絶えない」と同じ意味での〝生傷〟だ。大仁田は縫ってくっつけて抜糸して、ワンパク坊主はカサブタをこしらえ、それぞれ生傷を傷跡に変える。体中にたくさんの傷跡のある人を見て「すげえ」と思うのは、かつてそれだけの「生傷」の痛みを受け入れてきたということを思うからである。生傷を生に保っているのであるということ、いま現在痛いのである。痛みのある状態がニュートラルな状態に、私は畏敬の念を禁じ得ない。いつでも血の流れるレスラーの超人性のシンボル、とも思う訳だ。生傷こそ、レスラーを禁じ得ない。いつでも血の流れる人間というものに、私は畏敬の念数年前に、新日本プロレスの巡業バスが衝突事故を起こしたという話があった。誰もカスリ傷さえ負事故ではなく、誰もカスリ傷さえ負わなかったのであるが、ブッチャー一人だけ額からかなりの出血をしており、大事をとって病院へ運ばれたそうだ。ガクンといった拍子に前の席の背もたれにゴツンとぶつけてもそれは確かにゴツンとぶつけても出血しただのだろう。それは確かにあるだろが、警察とか現場故によるケガ(出血)ではあるだろ、しかし、警察とか道交法とか自動車保険とかうが、ねえ。検証とか社会規範に、「生傷」というプロレス的概念はない。「無理矢理(かどうか知らないが)病院に連れて行かれたブッチャーも困ったろう。全治〇日とか診断を下す先生も困ったろ。
(消しゴム版画、文とも)